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メヒコの女の子
 駅に着き、我々はバスに乗り込んだ。バスの中は外国人、地元の人々、そして我々のような遠方から来た人間、それらの人々で溢れていた。でも、中の雰囲気はとても良く、心地よい緊張感と「それ」に対する浮ついた気持ちが漂っていた。
 バスが目的地へ着き、我々はバスを降りた。そしてゲートへ。どうやら我々は早く着きすぎたようだ。ゲート前で数時間待たされる。その時間は奇妙な時間だった。早く中へ、という気持ちと、ラテン系の人々特有のお祭騒ぎ。それが我々に時間を忘れさせてくれた。
 Time has come.時間は遂に来た。ゲートは開放された。いざ中へ。

 中は警察とヴォランティア・スタッフ、報道、そして我々がいるだけだった。まだ「彼ら」は来ていていない。だが今はそんな事を云々する必要はなかった。我々はその場にいる全ての人間と友人になっていた。たった一つ、Footballという絆がそれを可能にしていた。
 ……メヒコ!メヒコ! 拍手とその言葉が我々の周りから生まれ、我々が生み出し、スタヂアムに広がって行った。

 彼らはやって来た。一瞬にしてスタヂアムの雰囲気が変った。あるいは僕の錯覚だったのかもしれない。我々の周りの人々は相変わらず、陽気に笑顔で叫んでいた。メヒコ、メヒコ、ラララ……。
 ヴァモス メヒコ!!!! その言葉を叫んでいる時、遂に始まった。いよいよワールド・カップが始まった。我々はずっと「サッカー」をしてきた。だが、今日からは「Football」をやる事になる。何故か自然とそう感じた。世界中が「Football」をやっている時、我々は「サッカー」という奇妙な呼び名のスポーツをしていた。それも今日までだ。明日から、いや、たった今から我々は「Football」を楽しむようになるだろう。この会場は、我々のアイデンティティや歴史を一遍させてくれるくらいのパワーを持っていた。

 黄色を纏ったチームが先制。 ──我々が応援しているのは緑だ。早く取り返せ。早く! そして彼らが取り返した。横にいた知らない外国人と私は抱き合った。彼は開始数十分だというのに酒臭かったが、そんな事はどうでも良かった。更に色々な人々がその輪に加わり、我々は「彼ら」以上に喜んでいた。
 前半終了。1-1.まぁこんなもんだろう。試合内容は……全く覚えていない。私は今まで何度も数え切れないくらいの国際Aマッチを見てきた。スタヂアムで見た事も多々あった。だが、こんな事は始めてだ。試合内容を忘れるくらい興奮して、どちらかを応援するという事を、私は初めてした。しかし、そんな事はどうでも良い。とにかく、1-1の同点。それが目の前にあるだけ。そして後半は更に一点をとって逆転するように、声を飛ばせば良いだけだった。

 メヒコ! メヒコ! ラララ……。後半開始。彼らはやってくれた。緑が歓喜した。叫んだ。抱き合った。彼らは逆転した。メヒコ! メヒコ! ラララ……。
 あとはとにかく点を取られるな、それを願っていた。メキシコ人も、日本人も、アメリカ人も、イングランド人、アイルランド人も全ての緑を応援する人間がそれを願っていた。
 主審が笛を三度吹いた。終わった……。長い、長い試合だった。だが同時にとても短い試合だった。物理的には90分。それは事実だ。でも、90分という時間は知らない誰かと誰かを友人にしてくれるのだ。

 「ヴィーヴァー! メヒコ! ヴィーヴァー ヴィーヴァー!」
 帰り道、メキシコ人と共に僕は叫んだ。彼らが(彼女ら、かもしれない)どんな顔しているとか、どこにいるとかそんなのは関係なかった。ただ叫んだ。緑の勝利を祝福した。何の関わりもない日本人が、ハポネスが祝福した。彼らはそれに「グラシアス!」と云ってくれた。僕は泣いていた。果てしない涙が僕の視界を遮り、僕の思考を遠いメヒコの空へ向かわせた。サボテンに囲まれ、土のグランドを裸足で駆けるメヒコの少年、大人。一瞬、僕は間違いなくそこにいた。

 Gracias! 誰かが僕にそう云った気がした。僕は覚め、その人の方を向いた。可愛いメキシコ人の女の子だった。彼女は泣いている僕を不思議そうに見つめ、何かを云った。きっと慰めの言葉だったのだろう。だが、僕は慰められる必要はなかった。だから、「
VIVA! Mexico!」と彼女に云った。
 彼女はとても素敵な笑顔を見せてくれた。その笑顔は遠い昔、どこかで見た事があるような笑顔だった。その記憶を僕は多分、捨ててしまったのだ。結局僕は、どこで見たのかを思い出せなかった。僕は色々なものを捨てて、ここにいる。この先も色々なものを捨てるだろう。もしかしたら、彼女の笑顔も捨ててしまうかも知れない。そう思ったら急に彼女が愛しくなった。彼女を抱きしめたくなった。世界中の愛と引き換えにしてでも彼女の笑顔が欲しくなった。
 でも、それをするには僕はあまりに身勝手だった。どうしたら良いんだ、そう思っていたら、彼女は一言「
Gracias」と云った。

 グラシアス……。 僕の精一杯の笑顔と愛を込めて、その言葉を彼女に送った。そして僕は彼女に別れを告げた。
Adios...


 太陽は漸く沈む気配を見せ、風が吹いていた。この風はきっとメヒコまで届くよ、僕は何故だかそう思った。
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2002/06/10記(Cace comida)