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「涙を流すという事柄。其弐。」

 僕はどんな時に笑って、どんな時に涙を流すのだろうか?
 僕が一番最近に笑った事柄は何だろうか? 友人と何かを話したりしている時だ。
 僕が一番最近に涙を流したのはいつだったんだろうか? それは何のための涙だったんだろうか?
 どれだけ考えても思い出せなかった。
 涙。涙を僕はいつ流したのだろう。
 涙を流したことがあるのも覚えている。
 ただ、それが最後なんだろうか?
 そうだとしたら、僕は十五年近く笑ったり、涙を流していないことになる。
 十五年、結構な時間だ。一人の人間が大人に成長するには十分な時間。一人の人間が世の中を儚んで、死を選択するのに十分な時間。
 そう、きっと最後に涙を流したのは、僕が十五歳の時に恋人だった女の子が死んでしまった時。僕は、彼女がとても好きだった。その女の子の名前も、ナオコ。
 僕はそれを思いだし、少し驚いた。彼女を、ナオコを見た。
 ナオコは、澄んだ眼で僕を見ていた。いや、眺めていた。
「どうしたの? 何を見ているの?」
 ナオコは僕の発言の真意をとらえかねたのか、少し考えてから云った。「君を、シンジを見ていたの」
「君はいつもそういう眼をするの? その、何というか、少し遠くを見るような眼を」
「遠くを見る眼? それはシンジ君がしていたんじゃない。私はただ質問の答えを待っていただけ」
 そうか、僕が遠い眼をしていたのか。僕がどこか遠くから彼女を、ナオコを見ていたのかも知れない。あるいは、十六歳だったナオコを。
「ごめん。ちょっと考えていた」
「何を?」
「いつ笑ったのか、泣いたのかを」
「うん、でも私はどんな時って聞いたの? どんな時に君は笑って、どんな時に涙を流すの?」
「……僕が笑うのは、友人といるとき。涙を流すのは……」
 そこまで云って、僕は言葉を止めた。止めざるを得なかった。僕の中の何かが、僕を押しとどめた。
 ナオコは突然僕を抱きしめ、云った。
「ねえ、シンジ君、君がどんな時に涙を流すのかは判らないけれど、少なくとも、今は涙を流して良い時だと思うよ」
 ナオコの言葉は僕の心を揺さぶった。氷河に起きた地震のように、ひっそりと音も立てず、僕の心は震えた。
 でも、僕はそれを押しとどめた。
「ありがとう。でも、今はきっと、まだ、泣いちゃいけない時だと思う」
 僕は出来うる限り、自然で、一番優しい表情をしながら云った。
「それをするには、僕は……」
 ナオコは、真剣な眼で、でも優しい眼で僕をじっと見ていた。
 僕は、今から自分が云うことがとても恥ずかしく、傲慢に思えた。言葉が止まった。
「……とにかく、その時が来たら、遠慮なく泣かせて貰うよ」
 少し考えた眼をして、ナオコは頷いた。
「うん、その時は優しく撫でてあげるわ」
 ナオコが戯けてくれたお陰で、僕は少し楽になり、自然に笑えた。
「ありがとう。その時は宜しく」

 そうして、西暦2000年の3月8日が過ぎた。

続く。

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2006/07/01記